エンフォレックスで開講しているスペイン語+美術史を学ぶコースを受講すれば、フアン・グリス(Juan Gris)の送った人生と作品の全てが学べます。このコースが学べるのは、次のロケーション校舎です: バルセロナ、グラナダ、マドリード、サラマンカ。
スペイン語スキル上達のみならず、グリスやその他スペインを代表する芸術家の作品の全てを学び、グリスの手がけた印象的な名作「ヴァイオリンとギター」や「The Open Window」(国立ソフィア王妃芸術センター)、その他世界の名作へじかに触れるチャンスです。
スペイン語+美術史を学ぶコースでお会いできることを願いつつ、それまでの間この魅力的な芸術家についてさらに深くご紹介していきましょう。
フアン・グリス: 生涯
1887年、フアン・グリスは14人兄弟の13番目としてマドリードに生まれました。機械製図を学んでいた16歳から18歳まで芸術的指導を受けます。若い頃グリスが書いた多数のユーモアー溢れるスケッチは、マドリードの様々な出版社から出版されました。
19歳の時、若いフアン・グリスは兵役召集を避けて母国を離れます。彼は当時ヨーロッパで最も素晴らしい芸術の中心地であったパリへ向かいました。グリスが本当に芸術的才能を伸ばし始めたのは、20世紀の芸術界の巨匠と親しみ、多くを学んだこの地からです。
最終的にパリの持つ町の雰囲気はグリスにとって苦しみとなり、重度の喘息を刺激することとなります。1922年、妻Josetteと小さな息子Boulogne-sur-Seineと共にパリ郊外へ移住しました。晩年には、フアン・グリスの手がけた作品はヨーロッパ中でより高く評価されて名高くなり、彼独自のスタイルをキュービズム運動へ献身するにつれて彼の真の才能が実を結び始めました。残念なことにグリスは1927年、弱冠40歳でこの世を去ります。もっと長く生きていたら、どの方角へ彼の芸術が向かっていたか私たちには全く分かり得ません。
フアン・グリス: 芸術スタイルと影響
フアン・グリスが芸術的な刺激を受けた主な時期は、1906年、彼がパリへ移り住んだ時です。この地でグリスは世界で一番と言われる多くの画家や彫刻家の巨匠と出会います。
特にマティスの色使いはグリスへ顕著な影響を与えました。またグリスは始まったばかりのキュービズム運動に非常に触発されました。若いグリスの友達となったパブロ・ピカソ とGeorges Braqueは、彼の芸術的開拓に最も強い影響を与えた良き先輩でした。
1912年から1915年、フアン・グリスはピカソやBraqueと同様に人間の姿や無生物を砕いてキュービズムを試みます。しかし1915年以降、グリスは独自のスタイルを開拓し始め、彼のキュービズムの見解は独特なものになります。
実際にフアン・グリスの手がけた印象的な作品を実際に目にしたいのであれば、是非マドリードをスペイン語学習の地に選び、グリスの作品だけを扱った展示室のある国立ソフィア王妃芸術センターへどうぞ。
フアン・グリス: 代表的な作品
- ピカソの肖像(Portrait of Picasso、1912年: シカゴ美術館、シカゴ)
- ヴァイオリンとギター(Violin and Guitar、1913年: 国立ソフィア王妃芸術センター、マドリード)
- Bottle of Rum and a Newspaper (1914年: テート・モダン、ロンドン)
- Portrait of Josette (1916年: 国立ソフィア王妃芸術センター、マドリード)
- Mujer Sentada (1917年: ティッセン・ボルメミッサ美術館、マドリード)
- The Open Window (1921年: 国立ソフィア王妃芸術センター、マドリード)
- Violin and Fruit Dish (1924年: テート・モダン、ロンドン)
- Guitar in front of the Sea (1924年: 国立ソフィア王妃芸術センター、マドリード)
- The Singer (1926年: 国立ソフィア王妃芸術センター、マドリード)